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2009年9月 1日 (火)

救急医療への思い

救急医療は働く医療者の精神も肉体もボロボロにして、日本の救急医療は崩壊寸前といわれていますが、、

僕個人としては、今でも救急医療に関してのある種の憧れや、懐かしさがあります。

研修医当時、家に帰れないのは当たり前と思っていましたし、何日間家連続で病院に泊り込んだかを自慢げに他の研修医と張り合うくらいな感じでした。確かにきつい思いもしましたが、それ以上に自分のスキルがアップする、世の中のためになっているという自負が強かったように思います。

脳外科医として研修するためには早くいろいろな手術がしたくてウズウズしていました。定期手術は研修医が出来るわけがなく、手術をするためには誰もスタッフがいない深夜の手術くらいしかありません。そのため手術がしたい若い研修医は競って夜泊り込んでいました。手術ができそうな急患が来たら先を競って救急外来に駆けつけていました。熱意や日ごろの修練が認められて初めて上司から”今日はお前が手術やれ”と言われ手術できることを積み重ねてきました。

地方の病院への派遣も、当時は結構進んで行く医師が多かったように思います。大学病院と違い医師の数が少ないため自分で経験出来る手術が増えるからです。そこに自分が行く限りは手術件数が前任者より負けたくないという思いが強くなります。自然と救急は絶対に断らないように!どんな症例でも自分は受け入れるから!という意気込みでいました。

そのような地方の病院では、救急科の先生たちと昼夜問わずに一緒の時間をすごしました。仕事は浮世離れした忙しさですが、ある意味感覚が麻痺しているもの同士、愚痴はしょっちゅうこぼしていましたが、皆同士としての妙な一体感がありました。きついけれどやりがい200%といった世界です。

自分も仲間の医師達も、パラメディカルスタッフも皆熱かったと思います。

今でも、あの当時が懐かしく、恋しくさえ思ってしまいます。

方や、現在の救急医療の現状を見ると悲しい物はあります。そうなったのは何故でしょう?

いろいろな要因はあるとおもいますが、いろいろな医師不足対策などを耳にするにつれ本質からずれているように感じてしまいます。医師はお金のために当直をするわけではないです。もっと崇高なところに、心意気があるからこそ働けるのだともいます。それを妨げるものをまずは除外することが先決であり、そういう医療者がクタクタになりながらも社会から感謝と尊敬の念を持って受け入れられる社会を取り戻すことが重要だと考えます。

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